銀紙製の剣は無邪気に光って

 どうしようもない淋しさに襲われて泣きたくなるのは冬だ。今は夏だから泣かなくていい。特に十七歳の夏なんてマトモに馬鹿やって楽しいだけの時期なんだから。だから、今は泣かなくていい。

「で、彼氏どう?」
 紙パックのいちごオレを一口飲んで、ミサトは言う。いわゆる「一生に一度」の「高校生活最後の大イベント」の文化祭の真只中、あたしたちは過疎化進行中の写真展示室にいた。最上階の科学部と家庭科部に挟まれたこのスペースに足を運ぶのは、部員の家族か、迷子なのでなんとなく感が頭の後ろにべったり貼りついている学生グループぐらいのもので、あたしたちは体育館のステージ発表だとか、クラス企画のお化け屋敷だとか、そういった浮かれている感じからは断絶されていた。
 あたしはミサトが買ってきた紙パックのカフェオレにストローを挿してから、「クリストファー・ロビン、みたいな」と小さな声で言った。
「……だれだっけ、それ」
「プーさんの親友」
「あああの豚の?」
 ミサトがおそるおそる笑って、いちごオレを啜る。ストローを齧ってしまうのはミサトの悪い癖で、クラスの男の子たちの評判があまりよくないことをあたしは知っている。でもそんなこと、あたしは絶対にミサトに教えない。教えたところで、何もイイことがないことを知っているからだ。無知を武器にお節介を善意でやっていいのは、中学生までだ。
「違う、それはピグレット」あたしはミサトの口に含まれたストローの先端を想像した。「ピグレットは二番目の親友。クリストファー・ロビンはあの男の子だよ」
 ミサトは口からストローの先端を出して、「え、あの男の子って飼い主でしょ?」と言った。あたしは静かに首を振って、「彼らに主従関係なんてないのサ」と呟く。それを聴いてミサトは、分かったような分からないような顔に一瞬なって、それから「そっかあ。あー、まあ、でも、優しそうじゃん、クリストファー・ロビン」と言った。
 あたしは笑いながら、少しだけストローを噛んだ。

 文化祭が近づいていく空気に飲み込まれて、恋愛ごっこに巻き込まれた馬鹿がここにもいる。ジュンヤは隣のクラスの男の子で、一年のときに同じクラスで、でも特に言葉を交わしたこともなく、いつだかの打ち上げで交換したメールアドレス(今思えば確かにあのときも浮かれていた)くらいしか繋がりが無かった。彼は人当たりのよい、運動部らしいさわやかさも明るさも兼ね備えたような男の子で、あたしはクラスによくいる、男の子たちからは苗字にさん付けで名前を呼ばれちゃうような大人しい女の子だ。だから、告白のメールが来た時は「なんであたしなの?」って訊きたくて仕方がなかった。でもそんなこと訊けるはずがなかった。訊けずにあたしはオーケイした。空気に飲まれて馬鹿やっちゃうような、気楽さを演じたはずなのにあたしはどうしようもなく淋しかった。

『これからバンド発表だから、聴きにきて』
 お昼を過ぎにジュンヤから届いたメールを制服のポケットに入れて、あたしは体育館に向かった。文化祭のためだけに勢いで組んだおふざけバンドで、正直うるさい場所は苦手だし、何とか理由をつけて行けなかったことにしよう、と思っていたのだが、写真に囲まれて完全に暇していたところをジュンヤの友人たちに目撃されてしまったので仕方がなかった。
 体育館の重い扉を開けると、ドラムとギターの音が耳に飛び込んできた。爆音に近くて、うるさかった。体育館の照明は落としてあって、暗くてよく見えないけれど想像以上に人がいることは分かった。ステージだけが、色とりどりに光る。ふらふらしながらもステージに近づくと、人の揺れと音楽の振動で脳内がぼうっとする。
 ――あそこは幻想の世界だ。
 ステージの上で、マイクを持ったジュンヤが楽しそうに笑って、銀紙で出来た剣を掲げた。ふざけた演出だ。彼は幻想の世界で生きている。だから、クリストファー・ロビンに似ているのだ。彼の頭の中では、誰もが彼らの音楽に喜び、あたしは彼を愛しているのだろう。違う。プーはくまのぬいぐるみだし、あたしの隣の男の人は顔をしかめて耳を塞いでいる。
 だって、あたしは訊きたかった。
(どうしてあたしなの?)
 ジュンヤ、ねえ、ねえ。あなたはその剣で、誰を傷つけているの? 一年のとき、ミサトの告白を断ったって本当? ストローを齧ったら、あたしも嫌われてしまうの? ねえ、ねえ、もしかしてみんな、こんな怖い世界で生きているの? だったらジュンヤ、どうしてあなたの世界はそんなに楽しそうなの?
 寒気がする。だめだ、今は夏だから、あたしも楽しい気分でいなくてはいけないのに。なのに、寒い。震えが止まらない。
 ステージ上のジュンヤと眼が合う。ジュンヤは得意気に笑った。幻想の世界にぴったりの、剣でドラゴンを倒したような笑顔だった。あたしも笑ってやった。ジュンヤはあたしの涙には気づかないだろう。光が差し込んでいるのはステージの上だけだからだ。
 ジュンヤがあたしの方を向いて、もう一度、剣を掲げる。ステージライトが銀紙に反射して、あたしの顔を一瞬だけ照らした。


(Fin)